えこまいちゃん物語

えこまいちゃん

「なかなか名前、覚えてもらわれへんなぁ」

「フェルデンクライスメソッドを通して、頑張ったり無理するんじゃなくて、自分を大事にしようって、伝えたいねん」

「短くて、わかりやすい、ええ言葉ないかなぁ・・・」

友だちとおしゃべりしながら、ふと思いついた言葉

Eco myself (エコ マイセルフ) ~ 自分に優しく ~
これ、いいねぇ。いい、いい♪

 フェルデンクライスメソッドでは”自分が心地いいこと“が、とても大切です。
 “心地いい”を大事に暮らし始めたら、身につけるもの、食べるもの、出会う人も変わってきました。そんな日々を、えこまいちゃんの話として綴っていけたらなぁと思っています。

えこまいちゃん

フェルデンクライスメソッドとの出会い

わたしがフェルデンクライスメソッドと出会ったのは平成15年の秋。それは、健康運動指導士の資格をとるための講習会でした。講師は武井正子さん。

簡単な動きでぐーんと体がねじれたり、両足がやわらかく地面についているなんて、人生で初めての経験!ストレッチともリラックス法とも違う、このやり方にとても驚き、そして興味を持ちました。看護職として働き始めて、体がカチンコチンに緊張してしまい、その頃は休んでも体操しても、頭痛や肩こりがスッキリとれなくなっていましたから。

 名前の初めが“フェ”だったことだけ頭の隅に覚えていて、また日常に戻っていきました。それからしばらく経って、コーチングを習っていたカルチャーセンターで偶然、“フェ”のつく講座を見つけます。もしやこれは・・・と参加してみると、それがフェルデンクライスメソッドでした。ここで、講師をされていたのは藤井里香さん。初対面にもかかわらず、「これを教える人になりたいんです」と、養成者講習の案内を送っていただきました。

 その頃は自分のためというより、保健師の仕事に活かせたらという思いでした。

えこまいちゃん

これまでの歩み

講習

東京の養成指導者講習は、お盆休み、年末年始、ゴールデンウィークの前後にあります。
「お休みをいただきたいんです。東京の講習に参加したいので。」
 自分でお願いしながらも、無理かもしれないなぁの想いがよぎっていました。

「勉強やったら、行き行き!」と背中を押してもらえて、とてもとても嬉しかったです。

あのときの上司、同僚じゃなかったら、今のわたしはなかったかも・・・。

いろいろな人の協力を得て、東京にやってきたものの、これでよかったのかなぁ・・。
東京の真ん中で、ひとりきりのわたし・・・初日は涙でそうでした。

講習が行われる場所は、東京?と思うほど、ちっちゃな商店街、のどかな畑の広がる道を抜けたところにありました。もちろん、初対面の人ばかり。
イスラエルやカナダから来られた先生が話す英語を、通訳の方の言葉を通して理解するレッスンが始まりました。

「仰向けになりましょう。床との接触に耳を傾けて」
「かかとは、どこが床に着いていますか?」
「えぇ~?・・・そんなこと今まで意識したことない!」

全くチカラが抜けず、毎日筋肉痛。やってることは小さな小さな動きなのに疲れきってホテルに戻っていました。

2週間ほど経ったある日、シャワーのときに
「ん?・・・左の肋骨の間が動いてる??」
微笑んでるみたいな、カラダのはじめての感じに、嬉しくなったのを覚えています。

心地よい先生の声、少しヒンヤリした建物の感触、緑がいっぱいの環境。カラダの動きを通してわたしに気づく時間。こんなゆったり過ごす時間は、はじめてのこと。

日常から離れてのホテル暮らし。フェルデンクライスメソッドをきっかけに、自分を見つめる時間がたっぷりありました。

ハート

仕事やめられる

「いつか辞めると思ってたわ」「言うこと変わってきたから」
わたしが気づく前に、上司はわかっていたようです。・・・鈍感なわたし。

「この疲労感は何やろう?」
「一日、必死で働いて、来たときより仕事溜まってるってどういうこと?」
「わたしの好きな仕事は、民間に任せていくんやなぁ」
「せっかく、カラダいい感じやのに、またカチンカチンやわ。なんだかもったいない」「仕事をしながら4年間、東京の講習に行けるかなぁ。申し訳ない・・・」

ずーっとずーっと、考えて「あっ!仕事辞められる!」気づいて、嬉しかったぁ。

お金のことも、これからどうなるかも全く考えずに、ただただ、嬉しかったのです。
講習に行くことで、誰にも迷惑かけたくなかったから。

退職の日、区長に言った言葉
「力をつけて、ちゃんとお返ししますから。職員の立場でなくなっても、皆さんをサポートできるように」って。

たくさん、教えていただきました。いい出会いがいっぱいありました。
20年間、お世話になりました。

事後報告になってしまい、怒ってしばらく口をきいてくれなかった母は、退職の日
お赤飯を持ってきてくれました。ありがとう。また心配ごと、増やしてごめんなぁ。
涙がこぼれました。

つづきはこちらでお読みください。

将来の夢

自分の夢にワクワクする人をたくさん!